あなたの教えているのは何瞑想ですか?と聞かれます。
人は、○○瞑想と名がつくと安心するのかもしれませんね。
たとえその○○を学んだことがなくてもその名前を聞いただけでわかった気になるのかもしれません。
○○がついた”瞑想”が数えきれないほどある昨今、その○○は必要なものなのかもしれません。
瞑想講座を始めるにあたってタイトルを何にするか思案しました。
ヨーガ瞑想、シンプル瞑想、きほん瞑想・・・
しかし、瞑想は瞑想。
なので、未だにしっくりくる講座のタイトルが浮かばないのが現状です。
古代インド10,000年前から、静かに座り、インスピレーションを得てきた聖者たちが見つけてきた方法。
坐禅、ただ静かに座る、タオの瞑想、ヴィッパサナー瞑想(ブッダの教えた瞑想)、サマタ瞑想、パグワンラジニーシの教えた瞑想、マハリシの超越瞑想、ラマナ・マハルシが教えた方法、スワミ・ラマが教えた方法、シュリ・オーロビンドが教えた方法、ハタヨガの瞑想、マントラを使った瞑想、個人が考案した瞑想、マインドフルネス、・・・様々な瞑想を今まで体験してきました。
そして、瞑想とは、”我が家に帰ること” という感覚がもっともしっくりきます。
”我が家”というのは、ほんとうの自分であり、すべての源。
そしてその場所は、なんの不安も疑念もなく、誰かからの影響もなく、自分が自分を批判するようなこともない、完全に安らぐことのできる静かな場所。
その場所を見つけることができると、次第に心が変化していきます。
それは、視座のシフト。
ほんとうの自分である静寂の中にいながら、あるがままにものをみるほうへ。
様々な方法の中で、
もっともシンプルでニュートラル、
回り道せず、まっすぐ本質につながる方法は、
ヨーガの教えに従う瞑想と、ラマナ・マハルシやスワミ・ラマの、
非二元論の考え方をベースにしたものだと感じました。
(ちょっと難しいですが、、非二元論とはインドのアドヴァイタ・ヴェータンタ学派によるもので、大雑把にいうと、現実とは、人の本質であるアートマン=あまねく存在するブラフマンのみだという考え方です。古代インドから継承されてきたヨーガおよびそのルーツのヴェーダはこの非二元論が主流となっています。本当は、究極、学派も哲学も必要ないのかもしれませんが、私のように、瞑想という体験を言葉で説明するというチャレンジをしている以上、これが必要となってきます。)
瞑想とは、心の働きが鎮まり、純粋な本質の中に在ること。
すなわち静寂に在ること。
あらゆる抵抗がなくなった状態で。
あるがままに。
インドはゼロという概念を発見した国。
それは、インドという国は、静寂(ー心や潜在意識のさらに深いところにある)を意識的に体験することを目指してきた人の数が世界で最も多く、さらにそれを追求する人々、悟りを得た人々は尊敬されてきた場所だからのような気がします。
0- 何もない - 静寂 〜実は、ここにすべての本質が在る。
この世に生まれ、外部からの情報や価値観を与えられ続け、ふと立ち止まった時に、「私」と思ってきたものは、外から与えられた価値観の寄せ集めでしかないんじゃないか?でも、どこかにそれより何かもっと本質的な、別のものがあるはずと感じる方もいるはず。
このしくみと、それにつながる方法がヨーガスートラに明記されており、これと古代インドから継承されてきたヴェーダの叡智から、瞑想=静寂 を体験していくのが私が提供している瞑想講座の目的です。
おまけに、幸福感や感謝の念、世界の美しさをそのまま感じること、そして物質世界での願いがかなう副産物つき。
古代インドから伝わる視点から見た、人生の目的は大きく2つ。
ひとつは、富も貧も苦楽も含めた物質界の現世を楽しむこと。
ただし富を得る方法は他を害することないように。愛と誠実さを忘れないように。
この宇宙には、人の望みを満たす十分なスペースがあるから。何がどの程度必要か、
どの方法がその人に適しているかはその人にまかせられています。
(〜ダルマやカルマの話に続く。。長くなるのでまたの機会に)
もう一つの目的は、魂の解放。悟り、モークシャ、究極の自由。
瞑想はこの二つをサポート、特に、後者を目指す人にとっては不可欠なものとなります。
ここまでくると瞑想ってなんだか大変そう、、、
ですが、実際は、拍子抜けするほどシンプル、システム化されて誰でもできる方法です。
そして、呼吸法のように心身の健康に大きく役立つ実用的なものも含まれていて、
しっかりと体感できるものです。
そして、毎日、コツコツと続けることで、さらに発見が増えていきます。
何が起こるかは、あまり具体的に書くとそれを期待されてしまうので書きませんが、
瞑想のある暮らしとない暮らしでは、人生のクオリティーが格段に違うということ、
それだけは言えるでしょう。
ひとりひとりが、その本質を見失わずいること、これは、とても、とても大事なこと。
そのことが結局、全ての生命の平和につながる、そんなたいそうなことも思ったりします。
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