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  • 執筆者の写真Naomi - Ālokaḥ

真実の伝えられ方

更新日:2019年4月23日


「真実」は、言葉にするとその意味が限定されて真実から遠ざかってしまい、

伝えることがとてもチャレンジだと日々感じます。


そんな中、瞑想のクラスで話をしていると、

しゃべらされている、という感覚になる時があります。

言葉ってほんと難しい。。

その意味は、いやいや話をさせられているという意味ではなくて、

何か大きな力によって話をさせられている感じという意味で。

考えなくても体に染み込んでいることだからすらすら出てくるというのとも違う。

ポケットのような別次元に入って、

体はふわっと浮いてるようで、

視界はぼやっとしていて、でも、浮き出るようにやたらはっきりと見えるものがあって、

言葉は淀みなく口から流れ出てくる。


そんな状態が、瞑想のクラスをやっている時にたまに訪れるのです。

でも、思考を始めた途端に、それが止んでしまう。


私がクラスでお伝えしている内容は、10,000年前から精査され伝えられてきたヴェーダの叡智、サーンキャ哲学の知識、そしてヨーガの科学です。

源からこれらの叡智を降ろしてきた聖人たち、

これらを伝え継いでこられた先生たち。

もしかしたら、そういう先輩たちがまるで守護霊のように、

真実を伝えることをバックアップしてくださっているのかもしれません。

チャネリングってこういう感覚なのかな?


私の尊敬するインドのヨーガの学校の先生が聞かせてくれるチャンティング(マントラ(聖音)やヴェーダ、スートラなどの詠唱)は胸にズシンと響き、深くて澄んだ場所へと連れていってくれ、時に涙がこぼれます。


その先生は、

「これは私の力ではなく、私の師、そしてまたその師を通じてもたらされているもので、

さらにその源の大いなるものから流れてきているのよ」と。


それを聞いた時、ああ、先生はなんて謙虚な人なんだろうと思ったけれども、

自分がその感覚を垣間見てみると、

ある意味チャネリングのような感覚になっているかもしれないなあと気付きました。

自身は、ただの通り道。

もちろん先達への敬意と感謝は根底にあります。


そこで、真実って一体なんだ?ってことになるですが、

これはヨーガスートラにはっきりと説明がされておりまして。

これまた別の機会に書きたいと思ってます。


そうだ、私って、真実探求マニアなんだなあ。

肩書きを真実マニアにしようかな(笑


そんな戯言も、寛容な神様は許してくれますよね。

神はそこに在るだけなので罪も許しも善も悪もないのでしょうけれど。

南インドのラマナアシュラムにいらっしゃる、踊るシヴァ神像。

いつもいっぱいのお花と衣装で着飾られていて、

それはそれはお美しい姿でいつも見惚れていました。

ああ美しい。










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