難解すぎる?おもしろくない? ヨーガ・スートラと バガヴァッド・ギーター
- Naomi - Ālokaḥ
- 2018年2月3日
- 読了時間: 2分
更新日:2019年4月23日
ヨーガの道を行く人にとっては必須の2聖典。
しかし、この2冊は、日本人にとって最も難解な書物のうちのひとつかもしれません。
なぜなら、理由のひとつは、その内容が、思考と言語の限界を超えているから。
また、もうひとつの大きな壁は、古代から現代につたわっているインドの宗教文化。
私も、以前は、一生懸命に読もうとしては何度も挫折していました。
けれど、インドの学校の最初の学期でインド文化の授業があり、そこで教えられたことが「へえ〜そうだったんだ〜」の連続でおもしろいのなんの(笑)
まるで仏教のルーツのルーツを聞いているようでもあり。
そして、図解やチャートにして教えてもらえたことも大きく、
言語を超えているものは図解にしてもらって初めて「なるほど〜」とわかることも多々。
これを教えてもらってからヨーガ・スートラの勉強をするとこれまた面白いのなんの(笑)
ヨーガの学びの基本は経験なのだけれど、言語の限界を超えることでもあるようです。
目指すところが、言語も思考も何もないところなのだから当たり前といえば当たり前だけれど。
しかし、言葉による「お勉強」もやっぱりどうしても必要で。
誰の訳のを読んだらいいですか?と聞かれる時、私は迷わずこの2冊をお勧めします。

左:
著者のヴィディヤーランカールさんは、真理が知りたくて知りたくて、多くの哲学書や宗教書を探求してみても答えが見つからず、「自分が何者か」を確信・体感したのは言語喪失状態の時。
すなわち言語を超越して初めて自分の本性がわかるという体験をした方なので、
頭だけで理解して解説されたものとは一線を画し、また、難解な言葉ではなく、
できるだけわかりやすい表現で書かれています。
(わかりやすさばかりを追求して内容が浅くなってしまってるのとも違います)
右:
バガヴァッド・ギーターは、最初から読もうとすると必ず(笑)挫折します。
登場人物がいっぱいでてきて何が何だか、、読み始めても苦しいだけ、みたいな。
舞台設定はさほど重要ではなくて、
地獄のような戦場で、人々は自分は一体何をしているのだろうと悲しみに打ちひしがれた
アルジュナと宇宙の最高神クリシュナとの対話ということだけわかっていれば、
あとはどの章から読んでも大丈夫。
田中嫺玉さんがサンスクリット語から直接訳された言葉は、それはそれは美しく、
言語を超えた響きを持っているようにさえ感じます。
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